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2005年 05月 21日
TOKYO ART MUSEUMを訪れた。
名前からすると、かなり大きな美術館のようだが、100㎡にも満たない小さな建物である。設計は安藤忠雄建築研究所。以前に一度前を通りかかった時に、あのコンクリートの壁面は!と気にかかっていた建物だ。 今や世界のANDO建築だが、その真骨頂は、実はこのレベルの小さな空間スケールにあると僕は踏んでいる。 彼の地元関西での作品は実に名作のオンパレードであるが、その中でも特に僕が心惹かれるのは、住吉の長屋にはじまり(もちろんこれは写真でしか見たことがないけれど)、タイムズⅠ・Ⅱ、光の教会、本福寺水御堂、陶板名画の庭といった、いずれも数百㎡規模のスケールの作品における空間体験である。 美しいコンクリートの壁面が都市からいったん隔離された厳かな内部空間をつくり出し、切取られた空や水や光といった自然との関係を再認識させる空間演出に、彼の建築の特質が凝縮されているように思える。 この美術館も同様に、このスケールならではの濃密な空間が堪能できる。小さな入口からコンクリートの壁の中へ入って行くと、正面の大きな壁に落ちるトップライト、側面の縦長窓から切取られた外の風景。斬新さこそないが、したたかに良い空間だと思う。 この美術館は、新たにつくられる都市計画道路沿いの街並み整備を市が安藤に依頼したものの一部である。既に、いくつかの集合住宅や店舗等が新しい道路に沿ってつくられており、今後も公共ホールなどの建物が順次つくられていく。 このような沿道の街並み整備の例といえば、槇文彦のライフワークである代官山のヒルサイドテラスが思い出される。どちらも長い時間をかけて、一人の建築家が一つの道に沿った風景をつくっていることに共通点があり、規模や雰囲気にも似たものが感じられる。 ここでの代官山との違いは、都市計画道路の整備と同時に街並みの整備が進むことであろう。すでに道路に面した敷地が存在していた代官山と違い、ここでは、道路の整備が進むにつれて(今はまだ家が建っている)、街並みも出来上がっていく。道路空間を含めた公共空間と関係を持った沿道の空間整備が実現できれば、代官山に負けない街全体としての豊かな表情が形成されるものと期待ができる。 また、安藤建築の特質としての「都市からの隔離」という手法を道路に面した一連のサイトでどのように演出するかも見所である。 槇は都市に対して開くという姿勢を、建物内外の空間が連続する「群造形」の手法を角入りの建築を用いて具現化した。代官山ではこれにより、沿道空間に一連のシークエンスをつくり出すことに成功している。 安藤の「閉じた箱」が沿道の風景をどのように形成していくのかは、表参道の同潤会跡地の空間形成とも重なる、街の魅力を左右する重要なポイントであるように感じる。TAMの長い壁面と小さなエントランスという組合わせは、安藤による道空間の演出の一つの答えかもしれない。 モダニズムの思想の王道を行く二人の建築は、一見すると端正な空間構成を持つ同じ種類の建築のようにも映るが、そこで実際に体験する空間の質感はかなり異なったものである。 この二人のつくる建築の違いは、そのまま二人の都市に対するスタンスの違いを反映しているように思う。 「閉じた箱」をつくる安藤の都市に対する考えは、かなり懐疑的に見える。自分のコントロールできる枠の中からしか都市を見せないし、都市よりもむしろ空や川といった自然を享受できる象徴的な空間を目指しているようである。 一方、都市との関係を重んじる槇は、都市において人々のつくり出す雰囲気のようなものにかなりの想いを寄せている。表参道のスパイラルでは、わざわざ「都市」そのものを眺めるテラスを用意しているし、そもそも建築とはその空間に人が訪れて、つくった側が(もしくは使っている側さえ)予想もしないことが起こるのが楽しいのだと考えているようである。 どちらの場合も、その建築に身を置くことで得られる日常と非日常が複雑に交差する感覚は共通のものである。 いずれにしても、歩いてみたくなるような魅力的な街並みが増えることは、僕たちの生活を豊かなものにしてくれるに違いない。そして、なにより自分の街に人を案内したくなるようなエリアが増えるのは、親戚に有名人でもいるような気がして、わが事のように喜ばしい。 今後の継続的な街並みの生成が楽しみである。
by rystail
| 2005-05-21 22:52
| LANDSCAPE
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